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伊藤博文書簡 伊藤梅子宛 慶応3年(1867)10月22日付

いとうひろぶみしょかん いとううめこあて

概要

伊藤博文書簡 伊藤梅子宛 慶応3年(1867)10月22日付

いとうひろぶみしょかん いとううめこあて

伊藤博文  (天保12年(1841)~明治42年(1909))

いとうひろぶみ

縦30.0㎝×横43.0㎝

一通

長州藩政府の密命を帯びて長崎に潜入した伊藤博文が、下関の妻梅子に送った書簡。博文は慶応3年10月4日、長崎のイギリス貿易商グラバーと蒸気船1隻の借入契約を結んだ。これは倒幕に向けて上京する長州藩兵を輸送するための船だった。危険な任務を担う博文は、身元を隠すために「林宇一」の変名を用いた。書中の「高田様」は「高田春太郎」(変名)と称した井上馨のこと。また、「おさだ」とは長女貞子(当時2歳)のことである。

【訳文】
 10月22日
そなたはご無事にお暮しのこととめでたく存じます。私は元気に暮らしておりますのでご安心ください。おさだも障りなく育っていることと推察いたします。何事も高田様からお聞きください。私のことは少しもお気遣いなさらないでください。万事ぬかりなく気をつけてお世話されるようお頼みします。まずはあらあらかしく。おさだへごろふく、ちりめんを少々、靴一足をお送りします。
                               宇一
お梅どのもとへ

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キーワード

博文 / 伊藤 / 梅子 / 写真

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