上尾の摘田・畑作用具
あげおのつみた・はたさくようぐ
概要
日本の稲作は、田植えを行う植田が一般的に知られているが、かつては水稲の直播き栽培も広く行われており、関東地方では摘田と呼ばれ、大宮台地とその周辺地域に集中的にみられた。摘田は、明治以後の水田開発や農業技術の進歩によって消滅したが、遅くまで摘田を続けていた上尾市域では、摘田用具の残存度が高く、農業の基盤であった畑作の用具とともに収集され、体系的に整理されている。関東平野における台地上での農業経営や畑作地域における稲作の地域的な様相を知ることができる資料群であり、我が国の稲作栽培や農耕文化の変遷を理解する上で重要である。