「張撫夷」磚
ちょうぶい せん
概要
張撫夷の地位「帯方太守{たいほうたいしゅ}」とは、楽浪郡{らくろうぐん}の南側に3世紀初めごろ設置された帯方郡{たいほうぐん}の長官です。この磚が使われた墓の近くにある智塔里{チタムリ}土城を帯方郡の役所と考える説もあります。ただし、墓の年代には288年説と348年説があり、348年ならば帯方郡の滅亡後になります。
ちょうぶい せん
張撫夷の地位「帯方太守{たいほうたいしゅ}」とは、楽浪郡{らくろうぐん}の南側に3世紀初めごろ設置された帯方郡{たいほうぐん}の長官です。この磚が使われた墓の近くにある智塔里{チタムリ}土城を帯方郡の役所と考える説もあります。ただし、墓の年代には288年説と348年説があり、348年ならば帯方郡の滅亡後になります。
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