荒天
こうてん
概要
岡山市に生まれる。1905年に渡米して職業を転々としながら、ロサンゼルス美術学校の夜学に学んだ。1910年にニューヨークに移り、1914年からインデペンデント・スクール、1916年からはアート・ステューデンツ・リーグでケネス・ヘイズ・ミラーに学んだ。1922年にニューヨークで初めての個展を開催、1929年にはニューヨーク近代美術館主催「19人の現存アメリカ作家絵画展」に選ばれてアメリカでの評価を確かなものにしていった。この間、1925年と1929年の二度ヨーロッパを旅行しジュール・パスキンと交友し、制作面でも影響を受けた。1931年から翌年にかけて父の病気見舞いのために帰国し、1933年からはアート・ステューデンツ・リーグで教鞭をとるようになった。1944年には「1944アメリカ合衆国展」で一等賞を受賞するなど、第二次大戦期から戦後にかけてもアメリカを代表する作家の一人として活躍を続けた。ニューヨークで没。 国吉の制作は、初期の素朴で空想的な表現を特徴とするものから、パスキンの影響をうかがわせるものを経て、1940年代前半の大戦期の不安な精神状況をもの憂げな表情を見せる女性像などに託して表現した作品群、そして戦後の表現主義的な作風のものへと展開していった。《荒天》は、国吉が自己の様式を確立した時期、即ち1930年代の制作を端的に示すものである。どこかの入江の情景であろう。手前岸辺の風を受けるかのように幹を斜めに湾曲させてる一本の樹と周囲の潅木や草の緑は、岸辺の土や岩の赤茶と絶妙の調和を見せる。そして向こう岸には単純化された形態の黄土色の山と、それを挟むかのように配された重い灰色の空と、その空の色を映してざわめき立つ水面などに、彼の制作を特徴づける色遣いと抜きんでた描写力が示されている。ダウンタウンギャラリーでの個展に出品された作品である。(M.M.)