書状
しょじょう
概要
陸奥国(むつのくに・現在の宮城県近辺)の戦国大名、伊達政宗(だてまさむね)の書いた手紙です。政宗が、鷹(たか)と、鷹狩りの獲物である鶉(うずら)を徳川家康に贈ったところ、家康より直筆の礼状が届きました。それを受けて、政宗自身が御礼に参上するための取り次ぎを家康の家臣に依頼しているのがこの手紙です。
右から3行目、黒々とした文字で始まる行が手紙の出だしです。一文字目に「鷹」、ひとつおいて「鶉」と読めますね。政宗は右目の視力がなく、「独眼竜(どくがんりゅう)」の異名をもっていました。おそらく、筆先を紙におろす際、遠近感をつかむのは難しかったことでしょう。そのためか、書出しの文字が大きくなる傾向があります。
左下に、うずくまる鳥のような形が見えるでしょうか。これは「花押(かおう)」といって、図案化したサインのようなものです。伊達政宗の花押は鳥のセキレイにたとえられますが、セキレイの頭のあたりには、「政宗」という2文字が草書体をかなりくずして書かれています。「政」の1画目の点がかなり上にぽつんと離れているのがわかるでしょうか。同じ「政宗」の2文字が、紙面の一番左下には署名として書かれています。こちらは書き順が想像できるような線のつながりが確認できます。「政」の1画目は、じつはいちばん最後に書かれていることがわかりますね。
伊達政宗は、生涯で20種類とも30種類ともいわれる数多くの花押を用いています。公用と私用で花押を使い分けており、同時代の大名のなかでもかなりのこだわりがあったのはたしかでしょう。