乙瑛碑
いつえいひ
概要
後漢の桓帝@かんてい@のときに、魯国の前長官であった乙瑛が、孔子廟に百石卒史@ひゃくせきそつし@を置き、廟を守らせた経緯を記し、関係者の功績を称えた碑です。碑石は山東省曲阜@きょくふ@の漢魏碑刻陳列館に現存します。礼器碑@れいきひ@や史晨碑@ししんひ@と共に、漢時代の八分の代表作として知られます。(六人部克典氏執筆)(160412_t082)
【追加2枚分】
漢、魏、西晋、唐の各時代の隷書を漢隷@かんれい@、魏隷@ぎれい@、晋隷@しんれい@、唐隷@とうれい@と称します。漢隷は、前漢晩期に確立して後漢には公式書体となった八分@はっぷん@を主として指します。八分は波勢@はせい@と波磔@はたく@を具えて扁平な造形をとる格調高い様式で、漢隷によって隷書は完成したと言われます。
魏隷、晋隷、唐隷は八分の造形を踏襲しました。しかし、書きやすく合理的な筆法が求められ、隷書から草書、行書、楷書が発達すると、隷書は親しまれなくなり筆法も変化していきました。魏隷、晋隷、唐隷は、漢隷とは異なる筆使いや造形が散見されます。