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清洲城下町遺跡出土箍締め杮経
(永享11(1439)年墨書銘)

きよすじょうかまちいせきしゅつどたがじめこけらきょう(えいきょうじゅういちねんぼくしょめい)

概要

清洲城下町遺跡出土箍締め杮経
(永享11(1439)年墨書銘)

きよすじょうかまちいせきしゅつどたがじめこけらきょう(えいきょうじゅういちねんぼくしょめい)

木簡・木製品類 / 南北朝 / 中部 / 愛知県

不明

愛知県

室町時代/1439

・箍締め杮経1束
  当初は円筒形であったと思われるが、約6割が欠損し半円筒形を呈している。杮経を束ねて右巻きに仕立て、2条の竹で上下2か所を箍締めしており、束外面には偈頌文(げじゅぶん)とともに永享11(1439)年の年号紀が墨書されている。
杮経の巻き付けの順序としては、六字名号「南無阿弥陀仏」が中心部付近を占め、外周部へ向かって『仏説阿弥陀経』『仏説観無量寿経』『仏説無量寿経巻下』『仏説無量寿経巻上』の経文の順に右巻きで仕立てられていると思われる。
大きさ 縦  :約23㎝
幅(径):約18㎝
高さ :7.5㎝
残存率:約4/10

・分離した杮経一括2,380点
  本来は上記の箍締め杮経束と一体のものであったが、出土時に分離してしまったものである。形状は短冊形で、上端・下端とも基本的には圭頭状を呈しており、材質はヒノキである。墨書があるものは全て片面記載である。
数量は『仏説無量寿経巻下』由来のもの460点、『仏説観無量寿経』由来のもの59点、六字名号「南無阿弥陀仏」が記載されたもの1,021点の他、墨書の痕跡はあるが判読不能のもの及び墨書のないもの約840点が確認されている。
  ※経文由来のものは接合後の点数、六字名号記載のものと墨書の痕跡はあるが判読不能のもの及び墨書のないものは破片数となっている。
大きさ 長さ:約22㎝、
幅 :約1.1~1.3㎝、
厚さ:約0.16~0.22㎜
出土時に多数が欠損している。
  なお、『仏説無量寿経巻下』由来の460点、『仏説観無量寿経』由来の59点及び六字名号記載の43点の計562点については保存処理済である。

・箍締め杮経1束
 縦  :約23㎝
 幅(径):約18㎝
 高さ :7.5㎝
 残存率:約4/10
・分離した杮経一括2,380点
 一点あたり
 大きさ 長さ:約22㎝、
 幅 :約1.1~1.3㎝、
 厚さ:約0.16~0.22㎜
 出土時に多数欠損

箍締め杮経1束及び
分離した杮経一括2,380点(内、562点は保存処理済)

清須市春日東出8番地2

清須市指定
指定年月日:20180921

清須市

有形文化財(美術工芸品)

清洲城下町遺跡は国道302号建設や五条川河川改修などにより継続的に発掘調査が行われてきたが、平成20年に清洲小学校体育館を新築することが計画され、それに伴い市教育委員会が発掘調査を実施した。
調査による出土遺物は中世末~近世にかけての土器・陶磁器が主体で、収納箱46箱にのぼり、市教育委員会により整理保存されている。
発掘調査地点は、旧五条川の流れを利用した清須城の堀の一部にあたり、杮経はこの川の堆積砂泥層から箍締めの状態で出土した。
 本資料は、杮経が箍締めした状態で出土したこと、束外面に偈頌文が記されていること、偈頌文の後に「永享十一年」と記されている有紀年資料であること、杮経の墨書内容が浄土三部経とされる『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』全てと六字名号を書写していること等に特徴がみられる。これらの特徴を兼ね備えた出土杮経のうちでも、最古の紀年銘資料として高く評価される類希なものである。
 また、永享11(1439)年は、清須城が下津城に所在していた守護所の別郭として築城されてから守護所が清須に移転される前の時期にあたり、この時期における当地域の信仰の様子を知る上でも、非常に貴重な資料である。

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