願文
がんもん
概要
関白藤原忠通【ふじわらただみち】の子で、天台座主を4回もつとめた慈円(1155~1225)は、貞応3年(1224)8月に春日大明神に奉った表白文を病床で書いた。この願文は同11月に自身の重病平癒を、山王大師を始め諸尊聖衆に祈願するため、清涼な紙をさらに打紙して用いたものと思われる。(160913_平企:和紙の魅力)
楮紙の打紙で、繊維束、チリはわずか、顕微鏡では繊維方向性は無く、簀目15本、糸目間隔3.5㎝である。この料紙は、平安時代の公家が懐紙として愛用した陸奥紙とほぼ同じレベルで、鎌倉時代における朝廷の公用紙のなかでもとくに上質な壇紙を打紙したと考えられる。