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喜入牧の苙跡

きいれまきのおろあと

概要

喜入牧の苙跡

きいれまきのおろあと

史跡 / 九州 / 鹿児島県

鹿児島県

喜入牧は鹿児島市喜入一倉町の西側丘陵地帯にあり、現在の鹿児島市観光農業公園の敷地内にほぼ該当する。所有者は、鹿児島市である。
一帯の明治期の字名は「旧牧」であり、周辺には「外戸ノ口」「外戸ノ下」など牧に関する字名が残る。喜入牧の起源については明らかでないが、最も古い記録として弘治元年(1555年)、島津貴久が蒲生合戦の戦勝祈願として、喜入牧の馬一匹を寄進したとの記録が残る。
江戸期に喜入牧は肝付氏の私営牧となる。宝永4年(1707年)の馬追い行事の記録によると、馬追い行事は年一回行われ、牧に散らばっている馬を苙の方へと追い込み、馬の選定を行っていた。軍馬・官馬の確保という目的のほか、地域の一大行事(祭り)としての面もあったようである。馬を追い込む際に、駒(馬)取役の16歳の兵子衆が走り回る仔馬に飛び乗るなどして取り押さえると、周囲からは大歓声があがったという。勇壮で盛大な馬追いを郷内の老若男女だけでなく、領主である肝付氏も楽しみにしていたようで、鹿児島から帰郷して観覧するのが通例であった。なお万延元年(1860年)には小松帯刀も観覧したとの記録が残っている。
馬追い行事で最終的に馬を追い込む場となる苙は、喜入牧の場合、大苙、中苙、小苙の3つの苙で構成され、大苙の中に、中苙と小苙がある。これらの苙は一部に風化は見られるもののほぼ原型を留めており、その大きさや形状から大苙は追込場、中苙と小苙は選別場にあたるのではないかと考えられている。このように残存状況がよい苙跡は、県内だけでなく、全国的にもめずらしい。当時の牧の機能を考える上で大変重要な史跡であるといえる。

鹿児島市喜入一倉町5809番地104

鹿児島市指定
指定年月日:20150902

鹿児島市長 森博幸

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