玉祖神社本殿 附 棟札
たまのおやじんじゃ つけたり むなふだ
概要
和銅3年(710)に周防国(現在の山口県)の玉祖神社から分霊を勧請したことがはじまりと伝えられ、平安時代の弘仁11年(820)に完成した『延喜式』神名帳に式内社として記されている。南北朝時代には、神宮寺として二寺六坊があったとされるが、竹之坊以外は、天正年間ごろに退転した。江戸時代後期の享和元年(1801)の『河内名所図会』には、本殿や末社、竹之坊など当時の境内の姿が描かれている。
たまのおやじんじゃ つけたり むなふだ
和銅3年(710)に周防国(現在の山口県)の玉祖神社から分霊を勧請したことがはじまりと伝えられ、平安時代の弘仁11年(820)に完成した『延喜式』神名帳に式内社として記されている。南北朝時代には、神宮寺として二寺六坊があったとされるが、竹之坊以外は、天正年間ごろに退転した。江戸時代後期の享和元年(1801)の『河内名所図会』には、本殿や末社、竹之坊など当時の境内の姿が描かれている。
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