御書状 阿野実顕宛 「先書之趣」
おんしょじょう あのさねあきあて せんしょのおもむき
概要
慶長十六年(一六一一)から寛永六年(一六二九)在位。徳川家から中宮を迎えるなど政治的圧力に翻弄されるが、その中宮東福門院の協力も得て天皇家を護持する。多子に恵まれ、我が子で後の四代に亘って院政を敷き続けた。勅撰和歌集である「類題和歌集」の編纂を臣下に命じるなど、風流学問に通じていた。
権大納言阿野実顕に宛てて、歌合の付紙の判詞についての意見の返事に認められた巻紙の書状である。その内容は和漢朗詠集の立春の冒頭「逐吹潜開」の逐についての事で、皇弟八条宮智仁親王とも意見交換され、三者での研究のようすが知られる。(『名筆へのいざない―深遠なる書の世界―』海の見える杜美術館2012 解説より)