金光明経 巻第四断簡(目無経)
こんこうみょうきょう
概要
物語絵の未完の白描下絵を料紙として用いたもので、いわゆる吹抜屋台の内外における貴族の男女の動静が淡墨の暢達した描線で描かれており、引目鉤鼻の濃彩の描き起こしを予想した下絵であるために、おおかた目鼻を省略してあるのが珍しく「目無経」の名によって親しまれる。
この種の経巻として『金光明経』(四巻)の零本・断簡、および『般若理趣経』一巻が知られる。『金光明経』巻第三(京都国立博物館蔵)の奥書には「建久三年四月一日書冩之」、また『般若理趣経』(大東急記念文庫蔵)の奥書に、「後白川法皇 禪尼之御繪 終功之處崩御仍 紙寫之經 執筆大納一言闍梨靜遍梵字宰相闍梨成賢云々 建久四年八月日 以此經奉受僧正御房 深賢」とあり、この2種の経巻が、建久3年(1192)3月13日に後白河法皇が逝去されたので、法皇のもとで制作のすすめられていた未完の絵巻物の白描下絵を、にわかに経の料紙として写された供養経であることが理解される。追福のため、亡き人の消息をそのままに、あるいは故紙を漉き返したものを料紙として写経する風のあったことは、文献、遺品にその例は少なくないが、このような絵巻物の白描下絵を料紙とする遺品は、他に梵字経と呼ばれる類品以外知られない。
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