「高岡市街図」
たかおかしがいず
概要
「高岡市街図」
たかおかしがいず
かさいきゅうべえ
富山県高岡市
昭和9年/1934年
紙・印刷(2色)
縦75.3cm×横52.0cm
1枚
富山県高岡市古城1-5
資料番号 1-02-21
高岡市蔵(高岡市立博物館保管)
本資料は、昭和9年(1934)9月22日に発行された高岡市街図である。上部に「高岡市街圖」とある。左上部に方角と凡例がある。凡例には、「市界」「鐵道」「社寺」「街路」「河川」「用水路」とあり、それぞれを表す図画が描かれている。左隅に「複製/不許」「昭和九年九月十五日印刷/仝年九月二十二日發行/(定價 錢)」「発行兼/編輯人/富山縣高岡市末廣町九八六番地/笠井久兵衛」「印刷人/富山縣高岡市三番町四十番地/能登勢介」「印刷所/富山縣高岡市三番町四十番地/能登日光堂印刷所」とある。地図には、御旅屋町・末広町など字名、市役所・図書館・学校など公共施設の名称、高岡関野神社・瑞龍寺など神社仏閣の名称、高岡新聞社などの会社名、周辺の村名が記されている。また、北陸線・氷見線・城端線といった鉄道、河川、用水路が描かれている。
地図には、書き込みがある。右部に「渡邊福一郎申請路線図」「起点 高岡駅前/終点 高岡市赤祖父/粁程 弐粁五」とある。その下に凡例がある。「申請線」「起終点」「車庫」と項目があり、それぞれを示す記号が描かれている。地図上には、高岡駅前と高岡赤祖父に起終点を示す「○」が書かれている。高岡駅の部分には、「高岡駅前/高岡市下関四三九」とある。高岡駅前北隅の車庫の部分には「高岡市下関三二八」とある。踏切(現、駅より東の陸橋)の部分には「踏切/延長30.0/巾3.6」とある。次の3ヶ所に申請路線を示す書き込みがある。高岡駅前から末広町交差点までの路線には、「縣道〇.四粁/幅員一四.六米」とある。末広町交差点から御旅屋町交差点で南東へ右折し、先述の踏切までの路線には「市道〇.五粁/幅員六米五」とある。踏切から現在の県高岡総合庁舎前辺りまでの路線には「縣道一.六粁/幅員六米」とある。起終点の高岡市赤祖父の部分には「高岡市赤祖父/高岡市赤祖父八一一」とある。横書きの書き込みは左から右に書かれており戦後のものとわかる。
現在の主要地方道高岡停車場線23号と主要地方道高岡・小杉線58号の部分を、茶の色鉛筆で塗ってある。えんじゅ通りと御旅屋通りの部分を、桃の色鉛筆で塗ってある。所々、青鉛筆で書き込みがある。また、守山橋やその周辺地域の部分に赤鉛筆で書き込みがある。
ちなみに、渡邊福一郎(末広町)は大正11年(1922)に高岡初の自動車屋として「渡邊自動車商会」を創業(「高岡新報」より)し、昭和20年(1945)7月7日に高岡交通㈱を創業した。右部の書き込みから、渡邊福一郎が、バス路線を申請するために書き込まれたものと考えられる。
資料は、裏打ちされている。シミ、汚れはあるが、状態は良好。
本資料は、高岡市の変遷を辿るうえで好適な資料である。