玉丘古墳群
たまおかこふんぐん
概要
字水塚にあり、前方後圓型の古墳にして周圍に隍を繞らし封土の長徑約三百五十尺、後圓部の徑約二百十尺、高さ二十八尺、前方部の幅約百七十尺、高さ約二十五尺ありて南々東に面す表面には松樹雜木等密生せるも略三段を成し埴輪圓筒を樹てたる跡あり、後圓部の地下にありし石棺は明治十七年發掘せられ今其の棺底石を原位置に存し傍に蓋石及側石の破片あり本古墳の主體部は棺ありて槨なき様式のものと認められ其の石棺は組合式の精巧なる種類に屬せしこと明かなり 遺物としては發掘の際刀劔、勾玉、管玉等の發見ありしことを傳ふるのみにして他は判明せざるも其の外形及石棺等の形式に徴し極めて顯着なるものなり。
S52-12-053玉丘古墳群(旧称玉丘古墳).txt: 昭和18年9月8日史跡指定した玉丘古墳は、周濠をもつ前方後円墳であるが、この古墳のある小平野には古墳時代中期の良好な古墳群が形成されている。追加指定は玉丘古墳の陪塚2基のほか、笹塚古墳・マンジュウ古墳・[[逆]さかさ]古墳・北山古墳・壇頭山古墳・クワンス塚古墳・実盛塚古墳の計9基で、指定名称を玉丘古墳群に改めるものである。