与謝野晶子自筆杉並区立桃井第二小学校校歌・関係資料
よさのあきこじひつすぎなみくりつももいだいにしょうがっこうこうか・かんけいしりょう
概要
与謝野晶子自筆杉並区立桃井第二小学校校歌・関係資料
よさのあきこじひつすぎなみくりつももいだいにしょうがっこうこうか・かんけいしりょう
東京都
昭和時代初期/1936
与謝野晶子自筆校歌歌詞 紙本墨書、額装
与謝野晶子自筆「校歌発表の日に」原稿
ペン書き、「遥青書屋」黄色原稿用紙
与謝野晶子自筆校歌歌詞
本紙:縦27.2cm 横69.3cm 額:縦42.0cm 横100.0cm
与謝野晶子自筆「校歌発表に日に」
原稿 縦25.3cm 横35.7cm
与謝野晶子自筆校歌歌詞 1点
与謝野晶子自筆「校歌発表の日に」原稿1点(5枚)
東京都杉並区大宮一丁目20番8号
杉並区指定
指定年月日:20140226
杉並区教育委員会
有形文化財(美術工芸品)
与謝野晶子自筆校歌歌詞は、杉並区立桃井第二小学校が所蔵し、校長室の壁に掛けられていた資料である。桃井第二小学校は、大正12年(1923)の関東大震災を受けて現杉並区域が農村地域から郊外住宅地へと変化する動きの中で生じた児童数の増加に対応するため、昭和3年(1928)に開校した小学校である。同校の校歌は、昭和11年(1936)10月27日に制定されたもので、小学校の近くに住んでいた与謝野晶子に、第二代校長の花田長次郎が作詞を依頼した。学校のある荻窪地域の景観を描き、子供の将来を祝福する内容の校歌は、現在も桃井第二小学校で使用されている。
与謝野晶子自筆「校歌発表の日に」原稿は、昭和11年~12年(1936~1937)頃に行われた校歌発表会における挨拶で、晶子が使用した読み上げ原稿と考えられる。桃井第二小学校校歌作詞の経緯や、校歌の作詞を通じて、子供に対する意識が変化したことなどが記され、枠外左下には、晶子オリジナルの原稿用紙であることを示す「遥青書屋」の印字がある。この原稿は、桃井第二小学校で二代にわたり教師をつとめた個人宅に保管されていたもので、同家の引っ越しに伴い、桃井第二小学校同窓会に寄贈された。原稿用紙には、活字のポイント指定と思われる書込みが見られることから、本文が何らかの発行物に掲載された可能性がうかがえるものの、その発行物や経緯については不明である。原稿を保管していた元教師と、同僚の教師は原稿のことを知っていたが、公にすることなく共に亡くなったため、一般には存在が知られていなかった。近年では、平成24年(2012)3月発行の「桃井第二小学校同窓会報」に、写真と翻刻が掲載された。