紫地竹梅若松模様長絹
むらさきじたけうめわかまつもようちょうけん
概要
長絹は舞を主とした男女の役に用いたり、単法被の代わりに公達の武者姿にも用いられる。
紫絽地に平金糸と色緯で竹梅を丸文のようにデザインして5つ配し、裾には平金糸のみで若松に雷文を表した長絹。竹梅文は、同じ構図ながら、ところどころの花・蕾の色を白、水浅葱、薄黄と微妙に色を替え、また花の雌蕊は3つだけ螺旋状に表現するなど変化を付けている。
若松と竹梅文とで「松竹梅」となる。中国では、宋時代から「歳寒三友」と呼ばれて文人画に好んで描かれた。それは、冬に草木が枯れる時期にその節を守ることを人の友情になぞらえたもので、清廉潔白・節操の象徴と考えられていた。日本にもそれが伝わったが、認識は異なって吉祥文となり、特に江戸時代以降に定着した。
「紅地麻葉繋花車模様縫箔」(国立能楽堂蔵)とともに伝わったとされ、土佐藩主山内家から明治維新後に高知城下屈指の豪商・川崎家へと伝来していた可能性がある。