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牛頸須恵器窯跡

うしくびすえきかまあと

概要

牛頸須恵器窯跡

うしくびすえきかまあと

史跡 / 九州 / 福岡県

福岡県

大野城市上大利、牛頸、大字牛頸

指定年月日:20090212
管理団体名:大野城市(平21・3・12)

史跡名勝天然記念物

福岡平野の東南部に分布する、6世紀中頃から9世紀中頃にかけて操業された西日本最大規模の須恵器窯跡群である。悉皆的分布調査の結果、窯跡は東西4㎞、南北約4.8㎞の範囲に分布し、本来500基前後の窯跡があったと推定される。窯構造は地下式窖窯であり、6世紀中頃から末にかけて大型化が進み、6世紀末〜7世紀前半には全長が10mを越す大型のものが多くなり、それ以後は小型化する。窯の大型化が進む時期には、焼成部奥に複数の煙道をもつ牛頸須恵器窯跡特有の多孔式煙道窯が多く見られる。古墳時代から奈良時代前半の焼成器種は、坏・瓶類・甕など多様であるが、奈良時代中頃には坏・皿などの小型器種に特化する。その流通範囲は、古墳時代は福岡平野周辺に限定されるが、奈良時代には律令制下の国境を越えて、九州北部全体に広がる。
 牛頸須恵器窯跡は、奈良時代から平安時代初頭にかけて、北部九州全体に須恵器を供給した大規模窯であり、古墳時代から古代にかけての須恵器窯業の変遷過程もよく示すことから、古代須恵器の生産と広域流通の実態を知る上で欠くことのできない遺跡である。

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キーワード

/ / 須恵 /

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