岡豊城跡
おこうじょうあと
概要
岡豊城跡は高知県のほぼ中央、高知平野北辺の国分川に面した標高94mの岡豊山に築かれた山城で、戦国大名、長宗我部氏の居城である。長宗我部氏は鎌倉時代以来の土豪で、元親により土佐国を統一し、天正13年(1585)に四国をほぼ制覇した。長宗我部氏が岡豊城に拠点を構えたのは15世紀と考えられ、一旦落城したものの、のちの高知城に城を移そうとした天正16年ころまで機能した。城の東麓には城下町も存在した。丘陵頂上部に「詰」、「二ノ段」、「三ノ段」「四ノ段」などから構成される主郭部があり、その下方斜面には壮大な横堀と土塁、竪堀群がみられ、堅固な守りである。瓦は多量に出土しており、瓦葺建物が存在したことが知られるが、元親が土佐を平定した「天正三」や「瓦工泉州」の銘をもつ瓦があり、建物の年代や瓦の生産地を示唆する。出土遺物からみて、国親・元親のころには機能を充実させていたことがうかがえる。岡豊城跡は四国の戦国期城郭を代表する遺跡であり、長宗我部氏が土佐一国から四国に支配を広げる過程や、織豊体制へと組み込まれる変遷を内包した極めて重要な城跡である。