森鴎外旧宅
もりおうがいきゅうたく
概要
S43-12-012森〓(*1)外旧宅.txt: 〓(*1)外森林太郎は、文久2年1月、石見国鹿足郡津和野の城下に、典医森家の長男として生まれた。父は静男、母は峰子、林太郎は、横堀の自宅で、慶応3年、6歳のときから論語を学び、以後、明治5年、11歳にいたるまで、あるいは藩校養老館において漢籍を学び、あるいは父や師について和蘭文典を学んだ。藩校での成績は抜群で、藩主亀井[[〓(*2)監]これみ]は上京修学をすすめ、たまたま明治5年、父が藩主に従い侍医として東京に移ったのを機に、林太郎も上京し、ひとり神田の西周邸に寄寓して、本郷進文学舎に学び、7年、東京医学校予科、10年、本科(東京大学医学部と改称)に進んだのである。その後の経歴、とくに知識人文学者としての名声については周知のところであるが、津和野の旧居は、〓(*1)外がそこで生まれ、11歳までの幼年時代をすごし、生涯の基礎を形成したところである。
屋敷は城下の旧屋敷町の遺構である堀跡にそった道路に面する敷地内に、木造平家建茅葺(現在は瓦葺に改装)として建てられ、間取りは縦の喰違型で、とくに、上手の4畳半の茶室は父が〓(*1)外の勉強部屋として与えたものといわれる。この建物は嘉永6年の大火直後のものであろう。