ヨハネ黙示録(3)
・・・そして、それに乗っている者の名は「死」と言った、
概要
小羊が第一から第四までの封印を解いた時、それぞれ侵略、戦争、飢饉、殺戮を象徴する4人の者が馬に乗って出現した。デューラーはこの劇的場面を、疾駆する馬で人々を揉欄する「4人の騎士」の現実感溢れる姿で表現したが、一万ルドンは4名の中、「青白い馬」に乗り黄泉(よみ)を従える「死」だけを採り上げた。死を骸骨の姿で暗示する方法は、中世以来の慣習であると共に、19世紀後半の象徴主義的画家たちの作品群に再三再四見られるものである。ルドンの描く死神は、16世紀ネーデルランドの画家ブリューゲルの作品「死の勝利」のモティーフを想起させるが、ただしルドンはこの骸骨が示す運動表現を、デューラーの「黙示録」第12場面の「大天使ミカエルと龍の戦い」から借用したと思われる。すなわち「死」は両手で長い槍形の剣を握り締め、両腕を頭上高く持ち上げて、地上で光る肉塊を、斜め上方から突き差す瞬間を示している。これはデューラーの描いた大天使ミカエルが、同様の姿勢で足元の龍の喉元を槍で突き差す描写に酷似する。画面右上万から左下万に走る対角線的形態配置は、ルドンが特に好んだものであり、これはこの石版画集においても、〔6〕、〔7〕、〔8〕、〔10〕の諸場面で繰り返し用いられた。また画面中央の青白い馬は、腹部と前脚のみを背後の暗闇から浮かび上がらせ、その頭部は暗黒の世界に埋没している。柔かくて細かい無数の線描を重ねて、あるいは濃くあるいは薄く描かれた闇の表現は、「死」が従える黄泉(よみ)を象徴している。見逃せないのは、死神の印象に一抹の寂しさが感じとれることである。しかもここでは殺戮される人物描写が省略されているために、死神の行動には加虐性や血腥さはほとんど感じられず、静かな象徴図となっている。(中谷伸生)