蒲生八幡神社 本殿、幣殿
かもうはちまんじんじゃ ほんでん、へいでん
概要
蒲生八幡神社は小倉南区北西部に所在する。往古より旧豊前国企救郡蒲生村虹山に所在した本神社は、天正の初め豊後大友氏の兵火により社殿を焼失した。その後企救郡高浜浦に祭祀を受け継ぐ新たな社殿が建立され、規矩八幡宮又は高浜八幡宮とも呼ばれ、中世においても広く尊崇を受けた。関ヶ原の合戦の後、慶長7年(1602)細川忠興の入国による城下町形成に際して、再び蒲生村中島山に遷され、社名も蒲生八幡宮に戻る。寛永9年(1632)小笠原氏の入国後には豊前小倉之六社の一社として、崇敬を受け、本殿は第4代藩主小笠原忠総の寄進により建立された。社殿は南面する境内地に北から本殿、幣殿、拝殿が独立して配置され、棟札や寄附帳から、本殿は明和5年(1768)、幣殿は天保2年(1831)、拝殿は明治40年(1907)頃に建てられている。本殿・幣殿ともに建築当初の姿をとどめており、3社殿が独立して建つ北九州市内の諸神社でも旧豊前地域に比較的多い社殿配置の典型を示している。