水池土器製作遺跡
みずいけどきせいさくいせき
概要
S51-12-012[[水池土器製作遺跡]みずいけどきせいさくいせき].txt: 水池土器製作遺跡は、伊勢平野の南部、松阪市と伊勢市のほぼ中間に当たって平野に向かって北にのびる比高約10メートルの低位段丘のやや突出した一端に位置する。本遺跡の西方約2キロメートルには斎王宮跡推定地が所在する。昭和51年、明和町教育委員会が発掘調査し、比高約3メートル、幅約100メートル、長さ約200メートルの傾斜のゆるい段丘突出部の基部で掘立柱建物跡4棟、竪穴住居跡3棟、土器焼成壙16基、土壙11か所、粘土溜2か所、井戸跡1、溝1条等を検出した。土器焼成壙は、ほぼ二等辺三角形を呈する。長さ2.6〜4.2メートル、幅1.2〜1.8メートル、深さ0.2〜0.4メートルを測り地山を掘りくぼめただけの簡単な構造で壁面、床面は赤く焼けている。内部の炭や灰の混った埋土中には多量の土師器片を含んでいる。周辺にはこの壙と関係する柱穴等は検出されなかった。
掘立柱建物跡、竪穴住居跡は、通常の集落跡で発見されるものと特に差異はないが、多量の土師器のほか、少量の須恵器が焼成壙以外から検出されている。これらの土器の年代は奈良時代前半期に属しているが、溝からは、灰釉陶器も出土し、本遺跡の下限をうかがわせる。
これれらの遺構は、溝で区画された内に建物を中心として焼成壙、土壙が配され、さらに井戸も営まれ、生産関係の遺跡として一つのまとまりを示している。我が国における土器製作遺跡としてその製作の実態をうかがわせる極めて重要な遺跡である。