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紙本著色桃井直詮像〈伝土佐光信筆/〉

概要

紙本著色桃井直詮像〈伝土佐光信筆/〉

絵画 / 室町 / 関東 / 東京都

土佐光信

東京都

室町

1幅

東京国立博物館 東京都台東区上野公園13-9

重文指定年月日:19880606
国宝指定年月日:
登録年月日:

独立行政法人国立文化財機構

国宝・重要文化財(美術品)

 本図は室町時代から桃山時代にかけて栄えた芸能の一つである、幸若舞の祖、桃井直詮の像と伝えられる。それを証する史料は乏しいが、裏書に「幸家八世譲与済」とあって、幸若家に伝世したことを伝え、賛者が朝倉家および桃井家の菩提寺の一つである心月寺の二世海〓梵覚であるところから、これを幸若家の祖先の画像とすることは認められよう。賛文の内容も像主が芸能に堪能であったことをたたえたものであり、衣装の文様も笹松鶴亀で、芸能者にふさわしいものである。
 いくつかある桃井氏系図において直詮は、安眞とも安直とも書かれ、没年は文明二年(一四七〇)あるいは文明十二年(一四八〇)とあり、享年も六十一歳、六十六歳、七十八歳と諸説あって定まっていないところから、像主の名や没年、享年は正しく伝えられていなかったものと思われる。それゆえに桃井直詮の実在すら否定する意見もあるが、『康富記』の宝徳二年(一四五〇)二月十八日条に「越前田中幸若大夫参室町殿久世舞々之云々」とある幸若大夫は、名前こそ明らかにされていないものの、桃井氏の本拠地である越前田中が明示されているところから、この像主のことと考えてよいようである。
 本図が描かれた時期は明らかでないが、『心月寺過去帳』によれば、賛者の海〓梵覚は永正十三年(一五一六)に没しており、この年を降ることはない。一方、桃井氏系図は一様に本図が土佐光信によって描かれたことを伝えているが、確かに文亀元年(一五〇一)の年記がある土佐光信筆、三条西実隆像と描法に近いものがあり、その伝承は認められよう。土佐光信が永正三年(一五〇六)に朝倉貞景のために「京中図屏風」を描いていることを考えると、本図のおよその製作時期は一五〇〇年前後頃としてよいようである。
 室町期肖像画のすぐれた作品として、また描かれることが少ない、芸能者の風貌を伝える作品として注目される。

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