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朝日座チラシ「日本少女歌劇座レビュー」

あさひざちらし「にほんしょうじょかげきざれびゅー」

概要

朝日座チラシ「日本少女歌劇座レビュー」

あさひざちらし「にほんしょうじょかげきざれびゅー」

民俗 / 昭和以降 / 富山県

島興行社,印行:敦賀港大黒 小林鮮明社

富山県高岡市

昭和6年8月13・14日/1934年

紙・印刷(二色刷り)

縦38.7cm×横27.3cm

1枚

富山県高岡市古城1-5

資料番号 2-08-02-113

高岡市立博物館

高岡市下川原町にあった劇場「朝日座」で行われた、日本少女歌劇座による歌劇・音楽・レビューの案内チラシ。高岡新報社後援。

朝日座は、明治15・16年頃にできた高岡市下川原町にあった芝居小屋「板橋座」が大正8年(1919)に映画常設館となった映画館。昭和9年(1934)には「歌舞伎座」、同29年には「中央劇場」と改称された。閉館は昭和55年(1980)。

「日本少女歌劇座」は、日下(くさか)温泉(現・東大阪市)で大正10年頃生まれた、全国を巡業した少女歌劇団。昭和6年頃、運営に関わっていた島幹雄が島興行社を起ち上げ、現・奈良県大和郡山市に拠点を構えて運営した。同10年頃までのトップスターは、富山県水橋出身の山路妙子(同10年没)で、本チラシの「御挨拶」に代表者としてその名がある(ちなみに昭和3年の別紙チラシに「本年も/今年も」とあり、本チラシ(同6年と推定)の文中に「昨年御厄介の節」とあるため、毎年来ていたことがわかる)。その後、同11年に宮崎市に拠点を移し、戦中も台湾、朝鮮、満州にも公演した。同30年代初めまで活動した。
・本チラシの年代は「島興行社直営」とあることから、昭和6年以降で朝日座から歌舞伎座への改称(同9年)以前の「八月十三日(木曜日)」は同6年であることからの推定。

<参考資料>
鵜飼正樹氏(京都文教大教授)提供のチラシ・記事(共に昭和3年)、資料類

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