白綸子地雪持笹に松竹梅島台宝尽し文様繍小袖
しろりんずじゆきもちざさにしょうちくばいしまだいたからづくしもんようぬいこそで
概要
白綸子地雪持笹に松竹梅島台宝尽し文様繍小袖
しろりんずじゆきもちざさにしょうちくばいしまだいたからづくしもんようぬいこそで
江戸時代 18世紀初頭
表:絹(綸子) 総刺繍 裏:絹(紅絹 綾)
丈151.5 裄60.0
1領
白綸子地の総繍い小袖。地文は紗綾形に蘭菊。松竹梅や島台、宝尽くしの吉祥文で構成されており、文様と袘(ふき)の厚みから、婚礼に際して着用された打掛と考えられる。本品のような、腰の上下で文様が途切れる立木文様は、元禄13年(1700)発行の雛形『当流七宝常盤ひいなかた』に見られるように、江戸中期のはじめ頃から好まれるようになった。婚礼にまつわる白地に吉祥文様を配した衣装としては、19世紀前半ごろの遺例に複数確認されるような、波間の岩より松竹が伸び、鶴亀があらわされる蓬莱文様の小袖がある。蓬莱文様の小袖は図様の定型化が進んだものが知られるが、その萌芽は享保4年(1719)発行の『雛形菊の井』にすでに確認できる。本品は、松竹梅の構成が蓬莱文様小袖とは異なること、桜の花や雪輪の表現や、左腰にわずかに余白を残す構図に古様が見られることから、元禄期(1688-1704)ごろの製作と考えられる。蓬莱文様の小袖に先行する婚礼衣装は遺例が少なく、貴重な作例である。