伏木町・堀久助宛感謝状・委嘱状類
ふしきまち・ほりきゅうすけあてかんしゃじょう・いしょくじょうるい
概要
①~③は、伏木町で運送業を営んでいた堀 久助(1851~1936)が、伏木町の貧しい人々や火災で被害にあった人々などを救済するための費用や、高岡警察署伏木分署新庁舎建設のための費用を寄付したことに対し、当時の富山県知事であった森山 茂や徳久恒範から贈られた感謝状である。
④の依嘱状は、当時射水郡で開催された物産品評会の世話係を依頼された時のもので、射水郡物産品評会長・藤井 務の名で発行されている。なお、この依嘱状は全文墨書となっている。
①年代:明治23年(1889)10月10日
寸法:縦22.9cm×横31.0cm
②年代:明治23年(1889)11月20日
寸法:縦22.9cm×横31.0cm
③年代:明治28年(1895)10月23日
寸法:縦22.9cm×横31.0cm
④年代:明治42年(1909)4月17日
寸法:縦22.0cm×横29.0cm
【伏木(ふしき)】
高岡市北部の地名。小矢部川河口左岸にある。東部・北部は低地,西部・南部は台地,東北部に港が開け商業が発達している。1889年(明治22)から射水郡伏木町,1942年(昭和17)高岡市に編入合併する。越中国府の津として,古くから水陸交通の要地。地名の由来は国府の置かれた土地だったから〈府敷(ふしき)〉とか,木の倒れていた所という意味など諸説ある。国の開港場(貿易港)指定,中越鉄道の開通などで08年(明治41)に北陸人造肥料をトップに相次いで工場が港を中心に立地,本県最初の臨海工業地帯を形成した。地域内には越中国府跡・気多神社・勝興寺・国分寺・伏木測候所・二上万葉ライン・高岡市万葉歴史館などの文化財・史跡・観光コースが多くある。5月15日には伏木神社で伏木けんか山車祭が行われる。65年ごろから南西方向の台地への住宅・商店などの移動が始まる。地域開発の一環として外港建設や,みなと資料館(仮称)開設の計画がある。⇔伏木港〈中山 実〉
HP『電子版 富山大百科事典』(2021年6月24日アクセス)
【堀 久助(ほり きゅうすけ)】
伏木本町に居住し、運送業(地方より米穀其の他の物資が汽船にて北海道等へ積み出される。その荷扱をして回漕業者に取次手数料或は海上火災保健(原文ママ)を取り扱って割戻しを取るような営業)をやっていた人で温厚円満な人であった。嘉永四年(一八五一)生まれ、昭和一一年(一九三六)四月二〇日他界した。
『堀 久助翁回顧録』(伏木文化会、1983年、序文)
【森山 茂(もりやま しげる)】
1841・2・16~1919(天保12・1・25~大正8)3代富山県知事(1890・7・25~92・8・20)。
大和国(現大阪府八尾市)に生まれる。新徴組に加入するなど明治維新の時期に活躍。新政府の外務省に入り,対韓国交渉に活躍。森山の韓国状況報告が,1873年(明治6)の征韓論政変の端緒となったといわれる(いわゆる侮日事件)。一度退官するが元老院書記官となり,さらに議官を経て富山県知事に就任。オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケを招き治水に力を尽くした。92年2月の第2回総選挙に際し政府の指令に基づいて民党(野党)の大弾圧を行い,県内各地に流血の惨事を招いた。総選挙の後非職となり,官界を引退した。享年79歳。⇔選挙干渉〈広瀬久雄〉
HP『電子版 富山大百科事典』(2021年6月24日アクセス)
【徳久恒範(とくひさ つねのり)】
1844・2・16~1910(天保14・12・28~明治43)4代富山県知事(1892・8・20~96・4・11)。
肥前国(現佐賀県)に生まれる。明治維新のとき江藤新平らと活躍,新政府の陸軍に出仕。陸軍少佐に任ぜられて東京鎮台第2分営大弐(分遣隊長)となり,甲州農民騒動の鎮圧(1872)を行ったりした。〈佐賀の乱〉に際して江藤にその無謀を忠告したというが,抑えられなかった。江藤の下に実弟恒敏(佐賀から鹿児島に渡った江藤に随行,のち西南戦争で戦死)が参加したため辞任し帰郷していたが,1878年(明治11)熊本県警部として官界に復帰,同県警部長から石川・栃木・兵庫各県書記官を経て本県知事に就任。〈勧業知事〉といわれ,農業や高岡銅器の発展に努めた。日清戦争の最中だった94年,県議会の反対を押し切って工芸学校(現高岡工芸高校)・簡易農学校(現福野高校)を創設する。決して治水・治山に不熱心ではなかったが,県議会からは勧業・教育だけに傾き,しかも議会を軽視しているなどとして,84年12月通常県会で不信任を決議された。徳久は内務省に指揮を仰ぎ,解散でこれに報いる。就任当時から県議会とは不協和音が漂っていたらしい。本県から香川県知事へ転じ,さらに熊本県知事を務めた。享年68歳。〈広瀬久雄〉
HP『電子版 富山大百科事典』(2021年6月24日アクセス)
※参考資料
・『堀 久助翁回顧録』(伏木文化会、1983年)
・『越中伏木湊と海商百家』(正和 勝之助、1995年)186-187頁