刀 銘 筑州住左行秀鍛之/嘉永二二年二月日應小倉正治好
かたな めい ちくしゅうじゅうさのゆきひでこれをきたう / かえいよねんにがつひおぐらまさはるのこのみにおうず
概要
鎬造、庵棟、身幅広く重ねはやや薄めの大鋒(おおきっさき)。鍛(きたえ)は小板目に肌よく約(つ)み、ところどころに流れ肌が交じる。刃文(はもん)は焼幅が広く、浅い湾(のた)れを基調とした大互の目(おおぐのめ)混じりで、足長くよく入る。金筋(きんすじ)や砂流(すなが)しかかり、匂口明るく冴える。帽子は浅く湾れて丸く返り、先掃きかける。茎(なかご)は生(うぶ)で、刃上がりの栗尻、鑢目(やすりめ)は勝手下りに化粧つく。指裏(さしうら)には刀工銘、指表(さしおもて)には2行に渡り年紀と注文者銘を切る。作者の左行秀(さのゆきひで)(1813-1887)は、筑前国上座郡朝倉の星丸村に生まれた江戸時代後期を代表する刀工。土佐・山内家のお抱え刀工であった関田勝廣の推挙により土佐に下り、当地で活躍した。「土佐正宗(とさまさむね)」の異名をとり、土佐藩15代藩主の山内容堂(やまうちようどう)(1827-1872)からも「今様正宗(いまようまさむね)」と絶賛されるなど、同時代的な評価が極めて高かったことでも知られる。