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八代海干拓遺跡

やつしろかいかんたくいせき

概要

八代海干拓遺跡

やつしろかいかんたくいせき

その他 / 明治 / 大正 / 江戸 / 昭和以降 / 九州 / 熊本県

熊本県

江戸~近代

熊本県八代市

指定年月日:20220315
管理団体名:

史跡名勝天然記念物

八代海干拓遺跡は、八代(やつしろ)平野(へいや)に点在する江戸時代後期から明治、昭和期に築かれた潮受(しおうけ)堤防(ていぼう)と樋門(ひもん)からなる干拓遺跡である。江戸時代後期、熊本藩は生産力向上のため有明海から八代海にかけて沿岸の干拓を進めた。八代海の干拓は、城代(じょうだい)・松井氏と現地の有力者(鹿子木量平(かなこぎりょうへい)・謙之助(けんのすけ)父子)によって事業が進められた。文化(ぶんか)13年(1816)築造の高島(たかしま)新地(しんち)旧堤防(きゅうていぼう)跡(あと)は、石灰岩を野面(のづら)積(づみ)した堤防で、北端には樋門の跡を残す。文政(ぶんせい)2年(1819)に築かれた大鞘(おざや)樋門群は、水門部である樋管(ひかん)が3連である江中(ごうちゅう)樋(ひ)と二番樋、5連の樋管を持つ殻(から)樋(ひ)の樋門3基が現存する。樋管部分には切り出した砂岩(さがん)を用いる。石造干拓施設を営造(えいぞう)する伝統は近代にも継続され、明治33~35年(1900~02)には10連の樋管を持つ旧郡築(きゅうぐんちく)新地(しんち)甲号(こうごう)樋門(ひもん)(重要文化財)、コンクリート造が主流化した昭和初期に石造である郡築(ぐんちく)二番(にばん)町(ちょう)樋門(ひもん)(登録文化財)が築造された。これらの遺跡は、八代海の干拓事業の展開と石造(せきぞう)堤防(ていぼう)等の築造(ちくぞう)技術(ぎじゅつ)を物語るものであり、わが国の近世から近代に至る干拓技術の発達等を知る上で重要である。

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