海ー月あかり
うみーつきあかり
概要
横山大観(1868-1958)が初めて海外へ渡ったのは、日本人としてはかなり早い時期といえる。師の岡倉天心がグローバルな視野と国際性を持ち合わせた人物だったので、大観自身も大いに触発されるところがあったのだろう。1908(明治36)年のインドに続いて翌年はアメリカ、そしてヨーロッパ諸国というように、かなり長期にわたって海外に滞在している。大観は決して豊富な資金を持っていたというわけではなく、盟友菱田春草とともにインドやニューヨークなどで成功を収めた展覧会の収益金によって次の旅行資金や日本美術院の運営資金を捻出した。
本作「海―月あかり」は、大観がアメリカで制作し、ニューヨークのセンチュリー・アソシエーションにおける大観・春草二人展に出品したもので、渡米する際、船の上から実際に見た光景ではないかといわれている。波頭が砕ける海に、糸のように細い月がかかる情緒的な風景を、朦朧体(もうろうたい)を呼ばれる描法で描いている。