不動明王像御正体
ふどうみょうおうぞうみしょうたい
概要
昭和60年(1985)に、吉田口七合五勺(ごしゃく)烏帽子岩(えぼしいわ)元祖室(がんそむろ)付近の登拝道整備石垣工事に際し発見された。
・刻銘中の和泉守光吉は、上総(かずさ)鋳物師(いもじ)で、中世以降上総矢那(やな)郷(ごう)(現木更津市)を本拠として江戸時代末まで活動した鋳物師大野氏の一員と見られる。
・なお、本御正体と尊像は異なるが、虚空蔵(こくうぞう)菩薩(ぼさつ)御正体(静岡県富士宮市 富士山本宮(ほんぐう)浅間(せんげん)大社(たいしゃ)蔵)が昭和53年(1978)に、富士山頂三島ヶ岳付近で発見されており、両面共に「八躰(たい)内」との銘文がある。
・これは、中世以降、富士山頂を仏教の密教における曼荼羅(まんだら)世界に擬(なぞら)えた思想が生じ、御正体八面が製作され、山頂近くの八所に奉納されたと推察され、他六面も今後発見される可能性がある。
・富士山信仰の密教的な思想や、室町時代における富士山信仰圏の展開実態を知る上でも重要な存在であるとともに、その製作や埋納時期、由緒、鋳物師名等が明らかであり、簡素な表現ながらも、堅実な作品としてその価値は高いものである。