「東京風景」より 洲崎の景
概要
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織田一磨(1882−1956)
ODA,Kazuma
「東京風景」より 駿河台
Surugadai HIll from "Views of Tokyo"
大正5年(1916)
東京国立近代美術館蔵
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織田一磨(1882−1956)
ODA,Kazuma
「東京風景」より 洲崎の景
Landscape of Suzaki from "Views of Tokyo"
大正5年(1916)
東京国立近代美術館蔵
川村清雄に洋画を,金子政次郎に石版画を学んだ織田一磨は,雑誌『方寸』の同人となって創作版画運動をおこし,日本創作版画協会や日本版画協会の組織にも参加して新版画の発展に尽力した。織田は自画自版の石版連作「東京風景」や「大阪風景」など,時代の雰囲気をよく伝える都市風景に優れ,近代化されてゆく大都市の身近な風景を落ち着いた知的な品位をもって描いている。
≪駿河台≫はニコライ堂のドームが見える日本風の家並みと街路を描いている。ニコライ堂は,1891年に東京神田駿河台に建てられた,ロシア正教会系の日本ハリストス正教会の聖堂である。威容を誇った洋風建築と旧来の日本の路地という,東京を舞台にした都市の近代化のなかの和洋の対比が面白い。≪洲崎の景≫は現在の江東区南部の木場や東陽あたりを描いたもので,元禄年間の埋立地の運河で釣りをする人々も見える。また洲崎は弁天社と遊里の街でも有名であった。大正12年の関東大震災で東京市街は姿を一変し,織田自ら述懐しているように石版連作「東京風景」は「記念的なもの」となった。