墨梅図軸
ぼくばいずじく
概要
銭杜(一七六四—一八四五)は初名は榆、字は叔美、号は松壷、壺公、卍居士などと言った。銭塘(杭州)の人。杭州の名門の家に生まれ、一生官にはつかず、家には文徴明の画百点以上を所有していたといい、文派に学ぶ細微な線描と清廉な色彩を特徴とする。著に『松壷画贅(がぜい)』、『松壷画憶』がある。
自題には「庚辰人日、以敗筆呵凍。倣天池生西溪春思、爲鶴渚清賞、頃刻而成、天空如洗、鷺立寒汀、足比擬也、銭叔美杜」の款と「叔美」(朱文方印)がある。「天池生」とは明代の画家である徐渭(一五二一-一五九三)のこと。徐渭は字を文清(文長)といい、その居所に藤花を植えたところから号を青藤と言った。正月初七日、かじかむ手のなかで徐渭「西溪春思」図に倣って一気に描いたものという。「鶴渚」とは奚岡の字。