一行書「黄中通理」
いちぎょうしょ こうちゅうつうり
概要
淇園は京都生まれの儒者。『易源』『問学挙用』などの著者がある。文化3年(1806)には平戸藩主松浦静山(まつらせいざん)らの援助で弘道館を建てた。「黄中通理」は、『易経』巻第1の「上経神」所収の語で、従順で中庸の徳を持ち、天下の物事の道理に通じているという意味。(120904_h082)
いちぎょうしょ こうちゅうつうり
淇園は京都生まれの儒者。『易源』『問学挙用』などの著者がある。文化3年(1806)には平戸藩主松浦静山(まつらせいざん)らの援助で弘道館を建てた。「黄中通理」は、『易経』巻第1の「上経神」所収の語で、従順で中庸の徳を持ち、天下の物事の道理に通じているという意味。(120904_h082)
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