北大東島燐鉱山遺跡
きただいとうじまりんこうざんいせき
概要
大正8年(1919)から昭和25年(1950)まで,主に化学肥料の原料として重要視された燐鉱石(りんこうせき)を採掘した鉱山遺跡である。沖縄本島の東方約360kmの太平洋上に位置する北大東島の西端部に所在する。明治43年(1910),玉置半右衛門(たまおきはんえもん)が採掘を試みたが取り止めた後,大東島の経営権を取得した東洋製糖株式会社が大正8年(1919)から採掘を開始した。その後,昭和2年(1927)以降は大日本製糖株式会社が経営した。燐鉱石の積み出し量は,大正末期は1万トン前後であったが,その後増産し,第二次世界大戦中の昭和17年(1942)には最大の7万トン台に達した。大戦後,米国軍政府の直轄で採掘されたが,昭和25年(1950)に閉山した。現在も,採掘場,日乾堆積場,トロッコ軌道,ドライヤー建屋,燐鉱石貯蔵庫,積荷桟橋(つみにさんばし),船揚げ場,火薬庫等,燐鉱石の採掘・乾燥・運搬・貯蔵・積出に至る生産施設が大規模に残る。これほど大規模に燐鉱生産施設が残るのは北大東島のみであり,唯一国内に現存するものとして貴重である。我が国近代農業を支えた燐鉱採掘産業の歴史を知る上で重要である。