縄文土器
じょうもんどき
概要
縄文土器
じょうもんどき
境川遺跡は鉢伏山の南斜面に立地する縄文時代早期の遺跡で、境川左岸の須磨浦公園内にあります。須磨区内では最古の遺跡であり、神戸市内でも数少ない縄文時代早期の遺跡として知られます。
六甲山系は須磨区の鉢伏山より南には続かず、明石海峡へと落ちていきます。境川の周辺一帯は山裾すぐが狭い砂浜になり、その間に現在は山陽電鉄・国道2号線・JR神戸線が併走しています。この場所は『日本書紀』大化2(646)年正月1日に記されている、畿内の西端の「赤石の櫛淵」にあたると考えられています。普段は水が流れていませんが、「境川」という小さな谷川があります。「境川」の名前は畿内の摂津国と山陽道の播磨国の境界に由来し、現在でも須磨区と垂水区の境界でもあります。六甲山系の南麓では地形上の制約があるためか、縄文時代の遺跡は小規模なものが多く境川遺跡も同様です。さらに境川遺跡は山麓に立地するため、ここに定住していたのではなく、狩猟や漁撈のためのキャンプサイトであったのかもしれません。
これまでに発掘調査が行われていないため遺跡の詳細は分かりませんが、押型文土器片と石器類が採集されています。
土器は小片で器壁の薄いものです。確認できる文様は山形押型文が約7割で、約2割が小形のポジティブ楕円押型文、残り約1割が市松押型文です。すべて外面に文様があり、内面には文様がありません。
【古代の神戸】