旧重谷家土蔵(伝広島城土蔵)
きゅうしげたにけどぞう(でんひろしまじょうどぞう)
概要
元は、広島市東区愛宕町に建っていたが、敷地売却の際に、本土蔵が、広島城に由来し、学校法人修道学園の前身にあたる広島藩の学問所の蔵であった可能性が十分にあったことから、同学園が旧所有者の重谷氏から無償譲渡を受けて、現在地へ移築したものである。旧所有者によると、明治の初めに広島藩士であった曾祖父が広島城内の「ゴサンノクラ」を譲り受け、愛宕町に移築したとの言い伝えがある。
本土蔵は、二階建てで、側柱は半間ごとに角柱を立て、戸口回りを除いて全て通し柱とし、1間を六尺五寸の京間を使用し、棟通りの桁行全長に太い地棟を通し、登り梁を架けている。部材には、丁寧に台鉋を掛け、角材が使用され、江戸時代から明治時代にかけて瀬戸内地方で高級建材とされた栂材が使用されている。