星梅鉢紋入懐中時計
ほしうめばちもんいりかいちゅうどけい
概要
本資料は、18金小型ハーフハンティングケース懐中時計。時計の直径4.4㎝。文字盤に「JAS. MC.CABE LONDON」とあり、ジェイムズ・マッケイブ社製の最高グレード品で、部品にはダイヤも使用されている。金鎖の先には珍しい円形のコンパス付き温度計が取り付けられている。デザイン的にも優れ、ケースには魚子(ななこ)模様が施され、蓋の裏には星梅鉢紋(久松家の家紋)があしらわれている。
内蓋には贈り先として「松山藩知事 久松隠岐守」、贈り主として「Presented by Jose Loureiro CONSUL of PORTUGAL NAGASAKI 1871」の刻印があり、明治4(1871)年に長崎のポルトガル領事・ジョゼ・ロウレイロが松山藩知事・久松隠岐守(勝成 かつしげ)に贈ったことがわかる。ロウレイロは、万延元(1860)年に神奈川の領事となり、文久2(1862)年から明治4(1871)年まで長崎の領事を務めた。
久松(松平)勝成は、高松藩主松平頼恕の6男、15代将軍徳川慶喜とは従兄弟の関係。松山藩12代藩主勝善の養女と婚姻した後、安政4(1856)年に13代藩主となる。慶応3(1867)年、養子定昭(伊予守)に家督を譲る。翌年、鳥羽伏見の戦いで松山藩は朝敵となり、謹慎後に藩主に復職、久松姓に復姓した。明治2(1869)年、版籍奉還により松山藩知事に任命され、同4(1871)年にその職を定昭に譲った。
松山藩とロウレイロの接点が史料的に裏付けられるのは、軍艦の購入を通じてである。松山藩は、幕長戦争を通じて軍艦の必要性を感じ、慶応2(1866)年に軍艦を購入している。『海南手記』(伊予史談会蔵)、『松山叢談』(当館蔵)、『勝海舟全集』などの記述を総合すると、長崎のポルトガル領事であるロウレイロを仲介として、イギリス船籍の「中山」あるいは「チウサン舟山」を購入し、「小芙蓉(こふよう)丸」と改名している。
ロウレイロと勝成の接点は軍艦購入以前からとも考えられる。安政4(1857)年、松山藩は神奈川周辺の警備を命じられ、1859~60年に台場を築造している。この頃、ロウレイロも神奈川におり、勝成と何らかの接点があったかもしれない。なお、明治4(1871)年は、ロウレイロが離日した年、勝成が松山藩知事を定昭に譲った年である。ロウレイロは離日に当たり、親交の深かった勝成に記念の品として本資料を贈ったのではないだろうか。
所蔵館のウェブサイトで見る
愛媛県歴史文化博物館