一生一硯
いっしょういっけん
概要
1873年(明治10)栖鳳14歳のころ、父政七の家業料亭「亀政」の料理人がこの硯をおいていった。ちょうど絵の勉強を始めた頃でもあり、当面のつもりで使い始めたのだが、磨る墨との調和がとても快適なので、この硯ばかりを使い続けた。ところが栖鳳も還暦を過ぎたある日、とつぜん真二つに割れてしまった。栖鳳は「一生一硯」という一語と共に「(この)硯を頼りに一生過ごしたという気がする」と述べている。作品の大半はこの硯から生まれたと言われている。
いっしょういっけん
1873年(明治10)栖鳳14歳のころ、父政七の家業料亭「亀政」の料理人がこの硯をおいていった。ちょうど絵の勉強を始めた頃でもあり、当面のつもりで使い始めたのだが、磨る墨との調和がとても快適なので、この硯ばかりを使い続けた。ところが栖鳳も還暦を過ぎたある日、とつぜん真二つに割れてしまった。栖鳳は「一生一硯」という一語と共に「(この)硯を頼りに一生過ごしたという気がする」と述べている。作品の大半はこの硯から生まれたと言われている。
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