七里岩
しちりいわ
概要
山梨・長野県境に位置する八ヶ岳(最高標高2,899m)の南麓には,約20万年前の山体崩壊による韮崎岩屑流(にらさきがんせつりゅう)が南北約25km,東西約18kmにわたって大規模な台地を形成している。釜(かま)無川(なしがわ)の侵食により比高40~150mもの断崖地形が連続し,総長が約30kmにも及ぶことから「七里岩」の呼称が定着した。暗灰色輝石安山岩(きせきあんざんがん)・凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん)などから成る断崖絶壁は要害の地を成していたため,甲斐国の大名武田勝頼(たけだかつより)(1546~82)は七里岩に臨む台地の突端部に新府城を築城した。また,岩壁の独特の風致景観は和歌・俳句の対象ともなり,江戸時代後期の一条信郷(いちじょうのぶさと)による『詠不二山百首歌(えいふじさんひゃくしゅうた)』には「七里のいはね」と「富士の根」とが重なり合う美景を詠った和歌を収めるほか,明治前期の俳句にも「七里につらなりたてる岩垣」と詠んだものがある。今回登録する範囲は,七里岩の中でも史跡新府城跡の北西部に近接の屏風岩と呼ばれる部分である。七里岩は,韮崎の歴史・伝統にゆかりの深い景勝地として長く親しまれてきた意義深い事例である。
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国指定文化財等データベース(文化庁)