旧堀田正倫庭園
きゅうほったまさともていえん
概要
旧堀田正倫庭園は佐倉城跡(さくらじょうあと)の東方,鹿島(かしま)台地の縁辺部に位置する。明治23年(1890)7月,最後の佐倉藩主であった堀田正倫は旧所領地である佐倉に屋敷を完成させた。
主屋は木造平屋建て(一部2階建て)で,和風建築として貴重かつ重要であり,配置が工夫されている。庭園の設計は著名な庭師である珍珠園(ちんじゅえん)伊藤彦右衛門(いとうひこえもん)が担当し,普請(ふしん)関係文書も残されており貴重である。
主屋の周りには庭木をはじめ燈籠(とうろう)・手水鉢(ちょうずばち)・景石(けいせき)などを設えて和風の庭園とし,建築との調和を図っている。その外側には広い芝生地を設け,園遊会などに用いた。庭園は尾根状台地及び谷津という当該地域の地形を利用することによって眼下の水田及び高崎川,対岸の台地を借景として取り入れた。
旧堀田正倫庭園は明治期に旧藩主が旧所領地に戻って造営した邸宅の庭園であり,主屋とともに造営の実態を知ることができ,芝生地を主体とし対岸の台地などを借景としたことで地形を活かした独特の景観を呈するなど,芸術上の価値及び日本庭園史における学術上の価値は高い。