日輪舎
にちりんしゃ
概要
日輪舎
にちりんしゃ
山形県
昭和前期/1943年
円錐形の屋根を持ち、円形をした建物である。木造2階建てで、出入り口には建物から張り出した屋根を持つポーチが設けられている。ポーチの出入り口は跳ね上げて天井に吊るす蔀戸で、人がかがんで通れるくらいの潜り戸が付いている。1階には雨戸付の窓が10、足元には通気口が8つある。2階には窓が11ある。ポーチがある所を建物の表側とすると、その裏側に引き戸式の出入り口が1つある。
ポーチから建物内部に入るとすぐ右側に2階へと続く階段がある。建物内部には八角形状に丸太柱が立っている。現在の1階床は全部コンクリート土間であるが、建設当時は、丸太柱内部が土間でその周りは床板張りであった。その名残として、丸太柱に床板張りの溝が残っている。2階は、丸太柱の外側が放射状に床板張りの空間となっていて、丸太柱内部は吹き抜けとなっている。2階の丸太柱の間には、最近付けられた手摺がある。天井は張らず、梁などの屋根裏が見える化粧屋根裏構造となっている。
1棟
山形県最上郡金山町大字有屋1247-2
金山町指定
指定年月日:20160202
特定非営利活動法人カムロファーム倶楽部 理事長 岸薫
有形文化財(建造物)
昭和12年、国策として16~19歳の青少年の満州移住を推進する「満蒙開拓青少年義勇軍」制度が始まり、全国から集まった若者たちが、茨城県の内原(現水戸市)にある訓練所内の宿泊研修所で教育を受けた。その宿泊研修所を「日輪兵舎」と呼び、昭和13年に建てられたこの内原の日輪兵舎は“満州移住のシンボル”として、同様のものが全国各地に広がった。
カムロファーム倶楽部にある「日輪舎」は昭和18年にたてられた。2階建てで中央の土間の周りを板敷のスペース2層が取り囲んでいたという点は、内原の日輪兵舎の構造と共通している。内原の日輪兵舎は、直径36尺で小隊60人を収容できるように設計されているものを標準型としているが、それよりも大きく最大80人を収容することができた。金山杉を使った堂々とした造りで、「日本一の日輪兵舎をつくろう」という意気込みを持って、集落の住民総出で建設されたという。
日輪舎は元来、東北有数の大規模山林地主が運営する㈶岸農山育成会が、将来地元の農林業を営む人材の育成を目的として開設した神室修練農場の教室兼寄宿舎として建てられた。その後、時局の変遷により、満州に向かう青年に農業訓練を施すようになった。昭和19年、当時神室修練農場の農場主任として勤務していた笹原善松氏が招集されたのを機に活動を中止した。
戦後の神室修練農場は、復員した笹原氏を中心として、寒冷地の畑作農業をテーマに陸稲や葉煙草栽培に取り組み、ワラビ栽培や栗林の造成にも挑戦した。日輪舎は作業小屋として利用され、収穫された葉煙草を乾燥する場所でもあった。