紺屋島村田地割関係文書
こうやじまむらでんちわりかんけいもんじょ
概要
紺屋島村田地割関係文書は、加賀藩が農政の根幹として寛永19年(1642年)から制度化したとされる田地割制度が砺波平野の散村地帯の村々でどのように実施されたかを具体的に知ることができる貴重な史料である。
「田地割」は、百姓が一村内の耕作地をほぼ20年毎に地味の良し悪しなどを考慮して割り替え、各自がくじ引きで交換した土地を耕作地とすることで年貢の公平な負担を図り、村の年貢を完納するための制度であった。但し、この制度は各自の耕作地を村内に広く分散せしめ、家のまわりに耕地を集めて耕作する散村の耕作体系とは相反するものであり、この矛盾が解決されなければならなかった。
本文書は嘉永4年(1851年)に紺屋島村で実施された田地割に関する一連の文書であり、田地割がどのように実施されたかを知ることができ、さらに明治6年(1873年)~8年(1875年)の地租改正に関わる文書と地図が含まれていることで、藩政期の田地割制度はもとより、明治以降に繋がる散村の耕作体系を理解するためにも貴重な史料である。