粟野庚申講
あわのこうしんこう
概要
粟野地区の最古の庚申塔である元禄12年銘の碑面には「奉供養痕(ママ)申講成就所」と刻まれており、その頃にはすでに講が存在していたことが伺える。現在は、造塔のみが継承されている。
講による造塔は、文化12年(1815)からは、弘化2年(1845)と嘉永3年(1850)の2回をのぞき、5年おきに造られ、現在まで規則的に続けられいる。江戸時代から連綿と造塔が続けられていることも大変稀な事例であるが、継続して5年おきに1基という規則性を守って造塔行為が行われているのは、全国的にみても貴重な事例である。