飯田古墳群
いいだこふんぐん
概要
長野県南部,中央アルプスと伊那山脈及び南アルプスに挟まれた伊那谷と呼ばれる標高400m台の低位または中位の段丘上の南北約10km,東西約2.5kmの範囲に,5世紀後半から6世紀末にかけて継続して築造された古墳群。
古墳群は北から座光寺(ざこうじ)・上郷(かみさと)・松尾(まつお)・竜丘(たつおか)・川路(かわじ)という5つのグループ(単位群)から成る。5世紀後半に突如として古墳の築造が始まり,古墳築造の背景には馬の文化を通じた大和政権との関わりが考えられる。本古墳群は,内陸交通において東西地域を結ぶ交通の結節点に位置しており,独自に周辺地域と交流があったことを示すとともに,大和政権による東国経営とも関わりがあったことを物語る。また,6世紀後葉の前方後円墳の消長及び畿内系横穴式石室受容の背景には,地域の再編成と大和政権の東国経営強化の過程をみることができる。
飯田古墳群は広範囲に及ぶが一体の古墳群として捉えることで,古墳時代中・後期にみられる大和政権による政治支配の状況や東国経営のあり方を知ることができるとともに,大和政権を構成する地域社会の動向を知る上でも重要である。