小菅修船場跡
こすげしゅうせんばあと
概要
S43-6-091[[小菅修船場]こすげしゅうせんば]跡.txt: 船架の創設は慶応3年に5代才助(のちの友厚)を中心として進められた事業で、貿易商社小松帯刀、イギリス商人トーマス・ブレーク・グラバーが出資者となった。
明治元年12月6日竣工、このとき小菅修船場と称された。曳揚機械、ボイラー等スリップドック一切の施設は、イギリスから入れ、曳揚小屋外壁の[[蒟蒻練瓦]こんにゃくれんが]は、オランダ人から習得した製法である。
政府は、明治2年3月2日、この修船場をグラバーから買収し、官営としたが、のち官営工場払下げの方針に従い、明治20年6月7日、長崎造船場の本工場・土地・建物・機械器具等一切を三菱に払い下げた。これが現在の三菱重工業株式会社長崎造船所のおこりである。
小菅修船場は、入江利用のスリップドックで500トン前後の船を曳揚げ修理を行なった。現在、残っているものは、曳揚小屋、曳揚機械、軌道、石垣などあり、また両岸の天草石の石垣の多くが当初のままであるなど、わが国最初の洋式船架として貴重なものである。