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旧見付学校
 附 磐田文庫

きゅうみつけがっこうつけたりいわたぶんこ

概要

旧見付学校
 附 磐田文庫

きゅうみつけがっこうつけたりいわたぶんこ

史跡 / 中部 / 静岡県

静岡県

磐田市見付

指定年月日:19690412
管理団体名:

史跡名勝天然記念物

S43-12-008旧[[見付]みつけ]学校(附磐田文庫).txt: 見付学校は、明治5年の学制発布をうけ、明治7年10月着工、8年7月落成した日本でもっとも古い小学校の一つである。学制によって、浜松県は第2大学区に属し、見付は第2大学区の「第12番中学区第1番小学」あるいは、浜松県の「第2中学区第1番小学」と称された。はじめ寺院を仮校舎としたが、淡海国玉神社より境内地の寄附をうけ、磐田文庫に隣接する地に校舎を建設し、明治8年7月、落成とともに直ちに学校を寺より移転したのである。もと磐田文庫は国玉神社の神官大久保忠尚の設立したもので、遠州国学の象徴であり、学校設立者の一人古沢脩はその門生であり、忠尚の女婿忠利は学校用地として境内地を浜松県会に寄附し、また文庫の蔵書の一部を学校に寄附するなど、いわば見付学校の設立そのものが、遠州国学ときわめて関係ぶかいことを示している。
 新校舎は、基礎石垣の上に、洋風木造2階建、屋上に2層の楼を重ねた1棟で玄関にはエンタシス式の柱を配し、外壁面は漆喰塗り、床板は斜張りとし、内部は中央階段とし、その左右に教室を設けた。明治16年8月、さらに2階天井裏を改造して3階を増築し、2層の楼をその上にあげ、屋根を寄棟造に改め、ほぼ現状のごとき校舎となった。俗に「見付の5階」と称せられる所以である。
 当時の学校敷地、また運動場として使用した国玉神社境内地、あらたに造成した多峯山上の運動場等は旧規模をよくとどめている。

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