旧林崎文庫
きゅうはやしざきぶんこ
概要
貞享3年、宇治会合所の大年寄が外宮の豊宮崎文庫にならって創立したもので、同4年文庫を丸山の地に設け、内宮文庫と称した。ついで元祿3年この地が卑湿であるのを避けて、北隣の林崎に移転、爾来林崎文庫といわれた。祠宮等これについて学び、著名な学者でここに講筵を開いたものもあったが、林崎文庫の名を高からしめているのはその蔵書であって、村井古厳の寄贈書を始めとして諸家の寄附にかかるものが多く、これらの典籍は今日に至るも学界を裨益するところが多い。天明及び文政に整備拡張を行い、敷地の改修、建物の営繕造替等が営まれたが、明治維新後は廃され、建物、蔵書は元会合大年寄から神宮に献納された。皷ヶ岳の東麓、傾斜地を背後に負うた小高いところに営まれ、いま講堂、書庫、表門及び石碑等がある。石階を登り、表門を入れば、前面を築地で囲んだ削平地があって、正面向って左に平家建の講堂、右に書庫があり、文庫の向って右側に紫野栗山撰文の林崎文庫記の碑元治2年建、講堂の向って左側に本居宜長撰文の林崎文庫之碑文政10年建、また書庫の背面、やや小高いところに沢田東江書並びに造立にかかる古文孝経の碑天明八年建がある。このように一連の遺構遺物は往時の形態を略ゝそのままとどめていて、教育学芸史上価値ある遺跡である。