高岡公園指定請願書並景況取調書(案)
たかおかこうえんしていせいがんしょならびにけいきょうとりしらべしょ(あん)
概要
高岡公園指定請願書と景況取調調書の案文である。明治6年(1873)「太政官布達第16号」の公布ののち、服部嘉十郎は高岡城址を守るため、藤井能三・鳥山敬二郎ら有志と図り、明治3年の民間払い下げを取消し、公園指定の請願書を権令・山田秀典に提出した。それには、植栽や園路・架橋のほか、博物館・美術館・図書館・公会堂・体育館・児童遊園地などの建設計画も書かれ、将来実現した公園整備の構想がすでに描かれていた。明治8年(1875)7月4日、高岡城址は正式に公園に指定された。また、本資料には「高岡市公園之図」が付属している。