野中寺旧伽藍跡
やちゅうじきゅうがらんあと
概要
俚俗中の太子とし聖徳太子の御創建と傳ふ薬師如來を本尊とする法隆寺式伽藍配置の巨利なりしが■々祝融の災に罹り堂塔悉く灰燼に歸し永く殘礎の點點たるを見るに過ぎざる状態となれり然るに江戸時代の初期に至り慧猛和尚之を再興し今日に至る。
而して舊伽藍阯の主要部分は今の山門内にあり參道の東に金堂阯あり柄孔を有する礎石多數を存す此れと相對して西に塔阯あり其の北部中央なる講堂阯には現今の本堂建物を存せり又中門阯は山門外にありて古の竹内街道に面す就中塔阯は稍高き土壇の上にありて周圍に圓形柱座を刻せる側柱礎を存し其の中央に巨大なる花崗岩を以て作れる心礎あり其の柱孔は最近の發見に係り圓柱孔の三方に添柱孔を刻し又別に南側壁に横口の舍利奉安孔を作りしものにして類列稀なるものなり。