日本大通り
にほんおおどおり
概要
横浜スタジアムが位置する横浜公園から横浜港に向かって延びる日本大通りは、明治4年(1871)に設計され、明治10年(1877)までに完成した横浜市関内地区の並木を伴う基幹街路である。「象の鼻」と呼ばれた当時の波止場から横浜公園へと一直線に延びる並木道には、来訪者を日本の国土へと誘う象徴的な意味が込められていた。
慶応2年(1866)の大火後、居留地の街区建設、横浜公園の造成、運河(堀川)の浚渫及び拡幅などとともに、東の外国人居留地と西の日本人街を隔てる防火道路として日本大通りは誕生した。街路は延長約400mに及び、幅40フィート(約12m)の車道の両側に各々幅10フィート(約3m)の歩道及び幅30フィート(約9m)の植樹帯が配置され、併せて石造側溝や下水道管も整備された。
街路を含む都市計画及び設計には、イギリス公使パークスの要請の下に、同国のお雇い外国人技師であるブラントンが当たった。ブラントンは、日本大通りの造成に当たり、破砕した石を突き固めて堅固な路面を造成するマカダム舗装と陶管の下水道とを組み合わせた道路工法を日本で最初に採用した。
大正12年(1923)の関東大震災を契機として、車道が22mに拡幅されるとともに、車道の左右には68本のイチョウが植えられ、今日見る並木の街路景観の原形が形成された。
その後、日本大通りでは幾度かの道路改修が行われたが、道路の全幅については現在なお当初の規模を踏襲している。平成13年(2001)には、片側2車線であった車道を1車線に縮小する工事が行われ、車道幅員が9mに改められた。現在、沿道には神奈川県庁舎(昭和3年(1928)建造)、横浜地方裁判所庁舎(昭和4年(1929)建造)、旧イギリス領事館(昭和6年(1931)建造)などの近代の歴史的建造物も残されており、日本大通りの街路景観に風格を添えている。
以上のように、都市の並木街路として日本大通りが持つ公園史上の意義は深く、その風致に富んだ優秀な景趣は造園文化の発展に十分寄与していると考えられる。